【会津若松】新選組の軌跡を辿る!絶対外せないおすすめスポット10選

会津|新選組の軌跡

動乱の幕末において会津藩は重要な役割を担っており、最後まで徳川幕府に忠義を尽くした藩として、現在もその歴史が色濃く残されています。

京都で活躍した新選組ですが、会津藩の後ろ盾がなければ新選組は存在しませんでした。そして転戦のすえ彼らは会津にたどり着きます。

土方歳三や斎藤一ら新選組隊士が会津で歩んだゆかりの地を辿っていきましょう。

激しい攻防戦に耐えた「鶴ヶ城」

鶴ヶ城と桜

会津若松のシンボルといえば、鶴ヶ城つるがじょう

幕末期、都で“天誅”と称して暗殺やテロが横行する中、京都守護職という市中の治安維持および御所・二条城の警備を担う役割を任ぜられたのが会津藩でした。

その会津藩御預として傘下にあったのが「新選組」です。戊辰戦争時、徳川を守る最後の砦として共に戦い、薩長土藩を中心とする新政府軍相手に徹底抗戦します。

会津軍はこの鶴ヶ城で籠城、山口二郎(斎藤一)らも城外で遊撃戦を続けますが、援軍も見込まれず1日におよそ2,500発もの砲弾が打ち込まれる中、1ヶ月間も猛攻に耐えたといいます。

鶴ヶ城

無念の降伏の6年後、明治7年(1874)に石垣だけを残して全解体。昭和40年に再建され、平成23年に幕末当時の白虎隊も見た赤瓦の鶴ヶ城へリニューアルされています。日本で唯一の赤瓦天守閣で国指定史跡となっています。

鶴ヶ城
 福島県会津若松市追手町1-1
 ハイカラさん・あかべぇ「鶴ヶ城入口」から徒歩5分
 大人410円(天守閣・麟閣共通券 大人520円) 小中学生150円
 天守閣への入場8:30~17:00(入場締切は16:30) 無休

新選組殉難の地「如来堂」

如来堂

新政府軍が城へ総攻撃を仕掛ける中、北西からの攻撃に対応すべく神指城こうざしじょう跡の如来堂にょらいどうに布陣していたのが新選組です。

この時すでに土方は優勢に抗戦を続けるべく北へ向かっており、会津残留を希望した隊士十数人の隊長を勤めたのは山口二郎こと斎藤一でした。

今後の方針を相談する旧幕府軍の軍議での斎藤の発言が残されています。

「ひとたび会津へ来たりたれば、今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」(谷川史郎兵衛日記)
会津の援軍として来ているのに、落城が近いと見て撤退するのは、「誠義」に反する
如来堂

慶応4年(1868)9月5日、この如来堂で斎藤を含む13人が、会津市街地から進軍した新政府軍に背後を突かれ撃退されます。

味方二十余人の小勢故、ほかに防禦の術なく尽く死す(島田魁日記)

土方とともに箱館で戦った隊士・中島登も自身が描いた『戦友姿絵』の中で、如来堂に布陣した隊士をすべて殉死としていますが、実際は名前の判明している11人中7人が現場を脱出していました。

斎藤をはじめ、昭和まで生きた最後の新選組隊士・池田七三郎(稗田利八)も脱走に成功しています。彼はこの時20歳でした。

如来堂・イチョウの木

傍らに、当時もあったであろう大きなイチョウの木があります。このイチョウは彼らの戦いの様子を見ていたかもしれませんね。

如来堂(新選組殉難の地)
 福島県会津若松市神指町如来堂
 路線バス「黒川」から徒歩20分|車:JR会津若松駅から約10分
 見学自由

会津と生きた斎藤一の墓「阿弥陀寺」

阿弥陀寺

如来堂を脱出した山口二郎(斎藤一)は名前を一瀬伝八と変え、新政府軍に降伏した会津藩士とともに、越後高田藩(新潟県上越市)で謹慎。その後すぐ藤田五郎と改名し、会津藩の新しい領地である陸奥国斗南藩(青森県むつ市)へ移ります。

明治7年(1874)頃には東京にでて会津藩大目付・高木小十郎の長女・時尾と結婚、3人の子供に恵まれます。(その前に会津藩士・篠田内蔵の長女ヤソと結婚していましたが、離縁)

現在の警視庁に勤め警部補となり、退職後は、東京高等師範学校付属東京教育博物館(現・国立科学博物館)の看守、東京女子高等師範学校(現:お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を勤めました。

晩年まで新選組時代のことは多くは語らず大正まで生きた斎藤一は、今際の際「亡骸は会津の阿弥陀寺に葬って欲しい」と遺言したそうです。

阿弥陀寺
会津東軍墓地
阿弥陀寺・藤田五郎の墓
藤田五郎(斎藤一)の墓

この阿弥陀寺には戦死した1281名の会津藩士が埋葬されたといいます。会津藩のもと発足した新選組、その会津に誠忠を尽くし戦った斎藤は同じく会津のために戦った藩士たちと共に眠りたかったのでしょう。

藤田五郎の墓の後ろが会津東軍墓地になりますが、塀が周りより高さがある(1.2m程)のは、遺体の数が膨大であったため、穴を掘ってもなおこの高さまで遺体が積み上げられたからだと伝えられています。

阿弥陀寺・御三階
御三階

境内には、かつては鶴ヶ城本丸内にあった「御三階」が移築されています。外観上は3階ですが、内部が4層になっており密議の場所として使用されていたそうです。

阿弥陀寺(藤田五郎の墓)
 福島県会津若松市七日町4-20
 ハイカラさん・あかべぇ「七日町駅前」下車すぐ
 拝観自由

友の手により近藤勇「天寧寺」に眠る

天寧寺・近藤勇の墓

新選組局長である近藤勇は慶応4年(1868)4月に新政府軍に投降、土方らが会津へ向かう中、斬首と処されていたため会津の地を踏むことは叶いませんでした。

土方は新選組と強い繋がりのある会津藩主・松平容保に頼み、会津城下を見渡せる天寧寺の裏山にお墓を建てました。近藤の戒名である貫天院殿純忠誠義大居士かんてんいんでんじゅんちゅうせいぎだいこじは容保が贈ったものであると言われています。

埋葬されているのは近藤さんの首とも遺髪ともいわれている

近藤勇の墓は、体と首の行方が諸説あり日本にいくつも存在していますが、盟友の死を悼み土方によって建墓されたこの天寧寺の墓は、その中でもとても感慨深い場所ではないでしょうか。

天寧寺・近藤勇の墓
近藤の墓の隣には土方の慰霊碑が建てられている

この天寧寺には土方をはじめ、齋藤一などの新選組隊士が滞在した記録が残っているといいます。

天寧寺(近藤勇の墓)
 福島県会津若松市東山町石山天寧208
 ハイカラさん・あかべぇ「奴郎ヶ前」から徒歩15分
 拝観自由

戦傷湯治の岩風呂「東山温泉」

東山温泉

先の宇都宮の戦いで足を負傷した土方は、傷に良く効くとされる東山温泉で療養したと言われています。会津では約3ヶ月間の療養生活を送っていた記録が残されていることから、かなり深い傷を負ったことが伺えます。

東山温泉
東山温泉発祥の源泉跡

傷が癒えてくると、岩風呂からそのまま川に飛び込んで泳いだという何とも無邪気なエピソードも残っています

東山温泉・足湯処
無料の足湯処
東山温泉発祥の源泉跡(土方歳三戦傷湯治の岩風呂)
 福島県会津若松市東山町大字湯本川向
 ハイカラさん・あかべぇ「東山温泉駅」から徒歩2分
 見学自由

土方歳三も食べた「お秀茶屋」の田楽

お秀茶屋

秀茶屋ひでちゃやは、延宝年間(1673~81年)創業、会津の老舗茶屋です。

土方が逗留していた清水屋旅館から湯治のため東山温泉に向かうのに使われたのが、この茶屋のある街道です。名物は味噌田楽、ここを通った際土方も食べたと伝わっています。

お秀茶屋の田楽
お餅がもっちもち
お秀茶屋
 福島県会津若松市東山町石山天寧308
 ハイカラさん・あかべぇ「奴郎ヶ前」から徒歩1分
 10:00~17:00 不定休

「清水屋」枕投げ事件

清水屋旅館跡

幕末の思想家・吉田松陰も宿泊したといわれる七日町なぬかまち「清水屋」。ここに土方も泊まり、京都時代から懇意にしていた旧幕府の医師・松本良順から傷の治療を受けています。

この時旧幕臣の望月光蔵も宿泊しており、土方が同宿していることを知ると館主を通して見舞いに出向くのですが、土方の汝等吾なんじらわれにくみせよ」という傲慢な態度に「土百姓上がりが小癪な!」といった怒りで反発、口論となります。

動けない自分に歯がゆさを感じていたかもしれません。最終的に土方は「去れ!」といって枕を投げつけたそうです。そんな「土方さんならやりかねない」と思わせるエピソードが残されています。

清水屋旅館跡
現在は銀行になっており碑と案内板があるのみ
清水家旅館跡
 福島県会津若松市大町一丁目1-38
 ハイカラさん・あかべぇ「七日町白木屋」下車すぐ

戦いの跡が残る「旧滝沢本陣」

旧滝沢本陣

戊辰戦争時には本陣営となり駐屯所として使用され、斎藤一率いる新選組もこの旧滝沢本陣から戦地へ出陣したとされています。

悲劇の白虎隊もここで藩主・松平容保の命を受けて出陣していきました。

この旧滝沢本陣は重要文化財に指定されており、内部も当時の姿そのままとなっています。あちこちに弾痕や刀傷が残されており、当時の戦いの激しさを物語っています。

旧滝沢本陣
 福島県会津若松市一箕町八幡滝沢122
 ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」から徒歩5分
 大人300円 高校生250円 中学生150円 子供100円
 8:00~18:00(冬期間は09:00~17:00) 無休

会津新選組記念館

会津新選組記念館

明治22年に建てられた旧家の蔵を改装し、1階は新選組関連グッズなどを販売、2階が資料館となっています。昭和レトロな雰囲気ただようコンパクトな資料館ながら、会津藩・新選組・新政府軍の貴重な資料が満載です。

お店の方に資料館をみたいことを伝え、レジ横の秘密基地感のある少し急な階段を登ると資料館になります

新選組の前身である壬生浪士組時代の筆頭局長・芹沢鴨のものと伝わる、鎖帷子と手甲の展示はとても迫力があり圧巻です。

大河ドラマ「八重の桜」で綾瀬はるかさんや西島秀俊さんらが使用した銃や小道具なども展示されています。

会津新選組記念館
 福島県会津若松市七日町6-7
 七日町駅より徒歩3分
 大人300円 小人200円
 10:00~17:00(不定休)

白虎隊記念館

白虎隊記念館

白虎隊自刃の地として知られる飯盛山の登り口に建てられた史料館。建物自体古くはなっていますが、戊辰戦争関連の史料が数多く展示されており、白虎隊士の手記や会津藩主・松平容保の羽織などとても貴重なものばかり。

新選組局長・近藤勇の鉢がね隊士・島田魁の袖章もこちらに展示されています。

白虎隊記念館
 福島県会津若松市一箕町大字八幡字弁天下33
 ハイカラさん・あかべぇ「飯盛山下」から徒歩2分
 大人400円 高校生300円 小中生200
 (4月~10月)8:00~17:00 (11月~3月)9:00~16:00(入館は30分前まで) 火曜休館(祝日の場合は開館)
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