土方ファンならみなさんご存知の豊玉発句集「梅の花 一輪咲ても うめはうめ」と肩を並べて有名な、土方家秘伝薬「石田散薬」。
これらはどの作品においても、愛を持ってネタにされやすい二大巨頭といえるのではないでしょうか(愛ゆえ)。
少年期に奉公にあがったのちに郷里に戻ってきて、新選組の前身である「浪士組」として京へのぼるまでの間、石田散薬の行商をしていた歳三。
今回は、250年の歴史をもつ石田散薬のあれこれを、歳三と石田散薬にまつわるエピソードとあわせてご紹介していきます。
石田散薬の得意先名簿「村順帳」を、17年研究されてきた方々の貴重なお話を聞くことができました▼
土方家秘伝薬「石田散薬」
土方家は日野の石田村で「お大尽」とよばれる豪農でした。その農業の傍ら、副業として製造・販売していたのが「石田散薬」です。
起源は宝永年間(1704~1711)、そこから昭和23年(1948)まで250年近くにわたって一子相伝で伝えられてきました。
石田散薬の“石田”は、土方家があった石田村に由来しており、“散薬”とは薬の形状や飲み方による分類のひとつです。
1.丸薬…丸剤 練って粒にした飲み薬
2.膏薬…練り薬 紙・布などに塗りつけて患部に貼る油薬
3.練薬・丹薬…練り上げた薬
4.水薬…液状
5.散薬…粉薬
6.煎薬…煎じて飲む
7.湯…薬缶の中にお湯を沸かして、その中に浸けて煮出す
8.雪…口に含むと自然に溶けるような薬
9.圓(円の旧字体)…丸い薬
10.振り出し薬…ティパックみたいに使用する
「この紋所が目にはいらぬか!」でお馴染み、水戸黄門の葵の印籠。その実体は薬入れ。印籠は現代でいうピルケースで、中に丸薬などをいれて携帯していました。
はじまりはカッパ
三世紀にわたって製造していた石田散薬ですが、さて、どうやって生まれたのか。
言い伝えによると、なんと河童から伝授されたものなんだとか。
当時の土方家の当主が多摩川に住み悪さをする河童明神を懲らしめたとき、その河童が許してもらう代わりに薬の製法を教えたといいます。
カッパ(笑)とおもいますよね。しかし、「河童の妙薬」という言葉があるように、当時の民間薬にはこうした伝説がつきものだったそうです。
効能は「骨接ぎ、打ち身、くじき」など。河童は相撲好きで怪我が多いため、こうした薬を持ち歩いているとか。
また、水の妖怪のため金属を嫌う性質から、刃物による切傷にも効果が高いともいわれており、切った張ったが日常である新選組の常備薬として、うってつけだったわけです。
岩手県遠野市には河童が多く生息しているらしいので遠野に行けば直接教えてもらえるかも…。「カッパ捕獲許可証」を取得して捕獲に成功すると、なんと賞金1000万円!
やままる印
土方歳三資料館に展示されている石田散薬の薬箱の中央に描かれている「山丸印」。
写真は歳三さんが薬の配達に用いていた石田散薬の薬箱。 描かれている「やままる印」は、家紋ではなく、土方家のお道具類についているお印です。一斗升やお椀などいろいろな生活用品に見られます^^山丸印は歳三さんにとって愛着のあるお印☆ pic.twitter.com/orhc75dKB8
— 土方歳三資料館 (@toshizoofficial) February 19, 2016
「山印」といって、各農家がさまざまな農産物を出荷する際、『うちのもの』とわかるように荷に印をつける出荷者名の略称で、「屋号」や「商標」のように使用されている場合もあるそうです。
土方家の「山に◯」は、一説に石田村の「石」の字を模したものではないかといわれています。

ちなみに土方家の家紋は「左三つ巴」です
石田散薬の販売方法
ドラマなどで歳三が「さぁさぁ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」と、がまの油売りの如く石田散薬を町中で売りさばくシーンが出てくることがあります。
実際は、石田散薬を得意先の雑貨屋や薬屋におろして、年に1、2度新しい薬を補充しにいき、売れた分の売上金を頂戴する、いわゆる「富山の薬売り」方式で販売していたそうです。
あれは完全フィクションということですね。
歳三は行商のとき、石田散薬と一緒に義兄の佐藤彦五郎家に伝わる「虚労散」も扱っていました。どちらも新選組の常備薬とされ、肺病に効く虚労散は、結核だった沖田総司も飲んでいたとか。
歳三と石田散薬
すこし余談。
みなさま、土方歳三生存√の作品はお好きでしょうか?
箱館戦争で死んだはずの土方歳三が生きていており、蝦夷共和国再興のため主人公・杉元佐一らと金塊争奪戦をくりひろげるバトル・ロマン・グルメ・熊が入り乱れる漫画「ゴールデンカムイ」。
作中で、石田散薬について触れられるシーンがあります。
若い頃に薬売りをやってた経験が役立つとはな…この時代を生き抜くには運だけでは事足りん 土方歳三|ゴールデンカムイ18巻
凶悪殺人鬼に毒殺されかける土方ですが、石田散薬の行商での知識によって難を逃れるというシーン。
作中では70歳超えの歳三おじぃですが、強く優しくダンディでかっこいい!漫画では新選組隊士についても多く触れられているので、読んでいない方は是非読んでほしい!
「このセリフ本当に土方さん言いそう…ッ」と刺さりまくるはず!

この毒殺未遂の回、10月開始のアニメ「ゴールデンカムイ4期」にて放送予定です
内藤新宿関門(四谷大木戸)にて

現在の新宿区四谷4丁目交差点あたりには、「内藤新宿」の宿場町が形成されていました。
内藤新宿は、甲州街道沿いの宿場のうち、日本橋から数えて最初の宿場であり、青梅街道と甲州街道の分岐点でもあります。すなわち江戸と多摩方面を結ぶ出入口だったのです。
宿場は、内藤氏が幕府に返上した敷地に置かれたことと、「新しい宿」の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、「新宿」の地名の由来です。新宿御苑は、内藤駿河守下屋敷跡につくられています。
土方歳三資料館には、歳三が行商に携わっていた頃の「石田散薬チラシ」が残されており、そこに記載されている江戸取次所(=薬を卸していた取引店)の、「四谷大木戸伊勢屋伊兵衛」「四谷新町大和屋清兵衛」は土方家の親戚家になります。

山丸印の薬箱を背負ってなんども訪れていたであろう歳三にとって、この地は親しみ深い場所だったのではないでしょうか。
市谷柳町の試衛館もここからそう遠くないので、行商ついでに寄っていたかもしれません。(真の目的はそっちだったかも…)
佐藤彦五郎の曾孫・昱氏著書「聞きがき新選組」には、慶応3年(1867)歳三が隊士募集で帰郷したときのエピソードがあります。
土方は途中新町なる大和屋清兵衛方を訪れた。家内の者が出迎えて見れば、将軍家に直参が出来る裏金の陣笠に、ぶっさき羽織に大小という立派な武士、これは徳川様の御役人が何か御用で御越しになった、と思ったが、よくよく見れば、親類の石田村の歳さんで、御供の小姓は日野の源之助さんと判り、まあまあこちらへと酒肴歓待懇ろであった。
歳三はお供を一足先に行かせ、関門の役人へは「土方歳三の供であることを名乗れ」と言い伝えますが、お供は30分ほどで戻ってきてしまいます。

主人が来なければ通行を許さぬと叱り飛ばされました…

しからば行かん!
そう怒った歳三ですが、大和屋をでるその顔つきは少し笑みを含んでおり、草履を緩やかに履いて関門に向かったそうです。
事の次第をちょっと楽しんでいる風ですよね。

拙者は供の者共の申述べた土方歳三である。上役に直談する。偽人と見るなら上役殿を、拙者の宿所に同伴しよう。
その気迫と眼光に役人たちは狼狽し、「少しも差支えはない、そのままにて通られよ」と通行を許したといいます。
二、三丁行き過ぎて土方は、今かの役人等の眠気を醒ましてやったのだと云いながら、呵々大笑したと云う。
威風辺りを払う歳三の姿を側でみていた甥の源之助(姉ノブの子)は、いつもの歳三伯父さんとは全く別人で、初めて新選組副長としての土方歳三をみたといいます。
大笑いしたあたりはきっといつもの歳三伯父さんだったでしょう。この豪胆さやON/OFFの切り替えも、彼が人々を惹きつける魅力のひとつですね。
牛革草刈り取りの指揮
土方家6代目子孫の土方愛さん著書「子孫が語る土方歳三」によると、歳三は10代の頃、石田散薬の原料となる薬草・牛革草の刈り取りの指揮をよく任されていたそうです。
村中総出で一日がかりの大仕事ですが、仕事の段取りがよく、人を動かすのに長けた歳三が指揮をする日は、仕事が早くおわると評判だったといいます。
副長として、烏合の衆である新選組をまとめた統率力の片鱗がすでにみられます。
石田散薬の作り方
作り方は至ってシンプル。ですが、かなり時間がかかります。
1.用の丑の日に浅川の河原に自生している牛革草を刈り取る
2.刈り取った草を天日で乾燥させる
3.細かく刻み、焙烙で黒焼きにする
4.日本酒を散布して、ふただび乾燥
5.薬研にかけ粉末にして、完成
刈り取った草の何十分の一にも減ってしまうようなので、確かにこれは大変…
報告会でいただいた、薬研にかける前の石田散薬。包み方も教えていただきました。

これはまだまだ粗いですが、薬包紙に散薬を入れ、折り折りしていくとこんな形に。


意外としっかりしていて、振っても中身がでてくることはありません。

重ねることができるので、こうして大量に薬箱のなかにいれて行商していたとおもわれます。
効果ってあるの?
原材料である牛革草(=溝蕎麦)自体は、リュウマチ、擦り傷、血止め、鎮痛剤として民間治療で利用されていたようですが、実際のところ薬効は現在も謎に包まれています。
御薬用ひやう
一貼を日三度、食前すき腹へさけにて用由夜分寝る前に用ひてよし、但シかん酒又ハ味りん等にて用ひてよし
禁物
一、一切青物類并新漬香のもの
一、惣てあふらけあるもの
一、一切川魚類、尤海魚かわきものハよし
石田散薬のチラシの一文ですが、意外と決まりごとが多い。
「酒(熱燗)にて服用すべし」というのは有名ですが、注目いただきたいのは禁止事項。青物、漬物、油っぽいもの、川魚NG、ただし干物はOK…
塩分が高い漬物や、油っぽいものが病体に悪いのはわかりますが、川魚と海魚の良し悪しの線引きとは?!興味深い…
薬事法改正を機に製造を中止したあとも「どうしても石田散薬がいい」というおばあちゃまもいたほど、人によってはその効果は絶大だったようですが…(プラシーボ効果…??)
お酒で服用することで、酔いによって痛みが和らぐのと同時に、血行が良くなることから、傷の治りが早くなった…ということもあるかもしれません。
ちなみに佐藤彦五郎家の「虚労散」は、石田散薬とおなじ原料・製法でつくられていますが、白湯で服用します。

……みなまで言うな。
どんな味?
アニメ「薄桜鬼」では、ネタとしてぞんざいな扱いをされている石田散薬。(斎藤一は「この薬の効き目は日本一だ」と絶賛しています)
石田散薬はインチキなんかじゃねぇよ。ただ…飲んでも飲まなくても大差がないだけだ。病は気からというだろうが。本人が効くとおもえば効くんだよ。
土方歳三|薄桜鬼ドラマCD「万能石田散薬」
池田屋で怪我を負った藤堂平助が石田散薬をのみ「まずっ!」と顔をしかめるシーンがあります。
実際どんな味なのか気になりますよね?
報告会でいただいた石田散薬を少し口に含んでみたところ(自己責任)、どこかで嗅いだことのある香りと味…
これは…タバコだ…っ!
火をつける前のタバコ本体の香りそのもの!味は香ばしく、後味はまさにタバコを吸ったあとのようなほんのり苦味が残ります。
もっと草っぽく苦味が強いのかな、とおもっていましたが、市販の粉薬より苦味は少なく味的にはまだ飲める。
ただ粒子ではなく細かい粉状のため、口の中に残るので、不快感が後を引く感じはありますね。
まとめ

今回、村順帳調査報告会への参加を機に「石田散薬」についてまとめてみましたが、まだまだ解明されていない興味深い歴史がたくさんあります。
現在進行形で行われている石田散薬の委託先調査によって、新たな資料やエピソードがみつかるかもしれない。
研究の余地が尽きない石田散薬に、ロマンを感じざるを得ません。