勝海舟といえば、「江戸無血開城」「坂本龍馬の師匠」といったことを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
一筋縄ではいかない、ちょいと曲者の海舟は戦乱の幕末において味方も多けりゃ敵も多い。でも実は現代的な考えをもった彼の生き方は、今学び得られることがたくさんあるんです!
激動の時代を生きた勝海舟の考えや想いを知れる「勝海舟記念館」、そして海舟が愛した洗足池について、彼の逸話を交えながらご案内します。
勝海舟とは

文政6年(1823)1月30日、現在の東京都墨田区で生まれ、幼名は麟太郎。
身分は旗本ですが、位は低く、正月に餅をつくお金もないほどの貧乏暮らし。余裕がでてきたのは、海舟が30歳頃だったといいます。
親戚から「餅をやるから取りに来い」といわれ、仕方なく取りに行くも、その帰り道にあわれみをうけるようで忌々しくおもい、両国橋から川に餅をすべて投げ込んだそうな。
38歳のころ「咸臨丸」で太平洋を横断し、サンフランシスコへ。帰国後は軍艦奉行並に就任し、40歳で神戸海軍操練所を開設します。
時制の流れを読むのに優れ、幕臣でありながら幕府の崩壊を予見していた勝海舟の「“幕府”よりも“日本”が第一」という考えは、当時まったく理解されず、まわりは敵だらけ。刺客に襲われることも…
しかし、そんなことは海舟にいわせてみれば、
みんなから嫌われるくらいでなくちゃあ男一人の仕事はできない
『勝海舟』子母澤寛

よ!江戸っ子!
ギリギリで保っていた佐幕派と倒幕派の均衡が堰を切ったようにはじまった戊辰戦争の最中、慶応4年(1868)3月、海舟46歳の時に現在の東京都港区田町にあった薩摩藩邸で西郷隆盛と会談し、江戸総攻撃を回避。
4月、新政府軍の本陣・池上本門寺で最終交渉がなされ、江戸無血開城が果たされます。
勝と西郷は当時江戸の町を一望できた愛宕神社にのぼり、「江戸の町を戦火で包むようなことは避けなければならない」と話したといいます。

東京都港区愛宕1-5-3
日比谷線「神谷町」または「虎ノ門ヒルズ」より徒歩5分
拝観自由
明治以降、海舟は新政府に頼りにされながらも政局の中に身を投じず、徳川家や西南戦争で賊軍となった西郷隆盛の名誉回復のために力を尽くしています。
明治32年(1899)、酒に弱く下戸だった海舟ですが、最期は風呂上がりにブランデーをのみ倒れて意識不明に。今でいう脳溢血でした。
そして、その2日後にこの世を去ります。享年77歳。危篤状態であった海舟の最期の言葉は、
「コレデオシマイ」
勝海舟記念館の見どころ

2019年に洗足池のほとりにできた、全国初の「勝海舟記念館」。
入り口をはいると高い吹き抜けになっています。

1F展示室の中央には「海舟ブレイン」。
坂本龍馬。彼れは、おれを殺しに来た奴だが、なかなかの人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着いてな、なんとなく冒しがたい威権があって、よい男だったよ。 『氷川清話』 -ニ、人物評論-より
人は逆境に立たなけりゃほんものじゃないよ。おれなんぞは五十年の間逆境にばかり立ち通しだったよ。おかげで人生の呼吸は十分に会得したよ。 『勝海舟先生訪問記』より
生き方、国のあり方、人物評などの海舟の言葉がアテレコ&プロジェクター投影されています。
「海舟ブレイン」をぐるっと取り囲む、海舟の生い立ちから終焉までをたどる年表と史料展示「海舟クロニクル」。
長崎海軍伝習所時代の海舟直筆ノートは、欧文で綴られ、作図や計算式、船の絵図なども書かれています。

筆記体でノート一面に歪みなく綴られていて圧巻…
奥に進むと、嵐の大海原で航海する咸臨丸をCG映像で体感できる「時の部屋」。
三方をスクリーンに囲まれた小部屋になっていて、大嵐にあった甲板・船内の様子を知ることができます。
物語で進んでいくので、めちゃくちゃ面白い!そして続きを知りたくなるおわり方!
海舟は乗船前から風邪を引いて体調を崩していた+船酔いでほぼ船室に引きこもっていたようですが、同船していた福沢諭吉はきびきびと働いて周囲から感心されたとか。

2Fには、書を好んだ海舟愛用「印章コレクション」や別荘・洗足軒のジオラマの展示やタッチパネルで操作する「海舟クイズ」も楽しめます。
「洗足軒での一コマ」という史実に基づいたミニアニメもあってかなり興味深い。

1F受付横にはミュージアムショップがあり、図録やクリアファイル、無血絆創膏などユニークな限定グッズを購入することができます。

等身大海舟パネル。身長は156cm~157cmといわれ、小柄だったようです。

晴明文庫とは

勝海舟記念館となった旧晴明文庫は、海舟に関する図書の収集等を目的として、昭和3年(1928)に建てられ、国登録有形文化財に指定されています。
着工の際には、財団法人清明会の顧問であった渋沢栄一も視察に訪れています。
正面玄関の垂直にそびえる4本の柱は、西洋の「ネオ・ゴシック」建築の特徴です。

色合いや窓の幾何学模様がモダンでおしゃれ。
内部はアール・デコ調の装飾。


床のモザイクタイルもレトロモダンでかわいい。

階段をあがって、正面の部屋は「貴賓室」。
胸像のみポツンと展示されていて、ちょっとシュール。


胸像の作者は彫刻家・本山白雲。高知県の坂本龍馬像の作者でもあります。
洗足池と勝海舟

無血開城直前、池上本願寺へ談判に向かう途中に立ち寄った洗足池の風景を気に入った海舟は、別荘「洗足軒」(現・大森第六中学校)を構えます。※戦災で消失
「海舟のまわりは敵だらけ」と前述しましたが、薩摩人や長州人・幕臣・公家…といったくくりではなく「人間」をみてきた海舟に説き伏せられ、慕った者たちがどれほどいたかが分かる痕跡がここには多く残されています。
勝海舟夫妻墓所

海舟は生前から洗足池畔に埋葬されることを望み、今も洗足池公園の一角に勝海舟夫妻が眠っています。
しかし、妻・民子は海舟と同じ墓には入りたくなかったとか…
嫁いだ先は貧乏旗本、出世してからの海舟は妾をつくったうえ、なんと妾とその子を自宅に呼び寄せ、妻妾同居生活。
日本国を想いながらも好き勝手に生きた海舟に献身的に尽くした民子でしたが、最後の最後「頼むから勝のそばには埋めないでくれ、私は(息子の)小鹿の側がいい」という遺言を残しています。
ほとほと愛想がつきてしまったようですね。
民子は青山墓地に葬られますが、のちに子孫によって海舟の墓のとなりに改葬されています。
民子さん許してくれたかな…
△○□の墓石(五輪塔)は海舟が60歳くらいの時に、自らデザインしたものでその図案も残っています。これぞ「終活」。
水船(手水石)

海舟が亡くなった直後、彼を慕う人々によって墓前に奉納されたもの。
背面には、榎本武揚や「柔道の父」と呼ばれ、日本のスポーツの道を開き、東洋初の国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任した嘉納治五郎、海舟ともに咸臨丸にのって渡米した「造船学の父」と呼ばれた赤松則良ら、50余人の名が刻まれています。
東京奠都七十周年記念碑

昭和14年(1939)、東京奠都70周年を記念して当時の東京市長・小橋一太により建てられました。

東京奠都とは、明治維新に際して武蔵国江戸が東京と改称され、都(首都)として定められたこと
勝海舟と西郷隆盛の対話によって江戸が戦火を免れ、その結果東京として大いに発展できたことを称えています。
西郷隆盛留魂詩碑

海舟が親交のあった西郷隆盛(南洲)の死をいたみ、詩とその筆跡をのこすため西郷の三回忌に自費で建てたもの。
内容は西郷が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心が読まれています。
留魂祠

西郷の七回忌に際して、海舟から同志たちに留魂詩碑の存在が明かされると、彼らはその傍らに小祠を建てて「留魂祠」と名付け西郷の霊を祀りました。
留魂詩碑とこの留魂祠はもともと葛飾区の浄光寺にありましたが、大正2年(1913)の荒川開削工事に伴い当地に移設されました。
南洲先生建碑記

留魂詩碑の工事を海舟に任された玉屋忠次郎が明治16年(1883)に建てたものです。

勝海舟追慕碑


海舟の門下生の富田鐵之助が記したもので、留魂詩碑が建立されてから現在地へ移設されるまでの経緯や、有志によち留魂祠が建てられたことが記されています。
仙台藩士・富田鐵之助は、海舟の息子・小鹿のアメリカ留学に随従して渡米し、経済学を学びます。日本銀行の創立に参画、第ニ代日銀総裁に就任。のちに東京府知事も歴任した人物。
徳富蘇峰詩碑

昭和12年(1937)数名の者が計画し、海舟門下生のひとりであった徳富蘇峰(明治-大正時代のジャーナリスト)に詩を書いてもらい建てたもの。
海舟と西郷によって江戸庶民の命が救われた偉業を称え、両雄を偲ぶ内容が刻まれています。
アクセスと周辺情報
勝海舟記念館は、池上線「洗足池」駅から徒歩5分。
改札を出て、目の前の横断歩道を渡り左に進み、洗足池公園の入り口手前に記念館はあります。

御松庵 妙福寺

記念館へ向かう道すがらの緩やかな坂をのぼっていくと左手に、日蓮聖人が袈裟を掛けたと伝わる「袈裟掛けの松」で有名な寺院があります。

袈裟とは、仏教の僧侶が身につける布状の衣装のこと

歌川広重の名所江戸百景にある「千足の池 袈裟懸松」としても有名で、小道には竹林もあり、日本の美・侘び寂びが感じられます。


東京都大田区南千束2-2-6
池上線「洗足池」駅から徒歩3分
拝観自由
勝海舟記念館まとめ

物怖じしない痛快な物言いと客観的な視点をもった勝海舟の言葉・生き方は、現代を生きる我々もハッとさせられる考え方に溢れています。
目先のことばかりを考えていると、「ちいさいちいさい」と喝をいれられそう…
勝海舟という「人間」を知ると、未来を切り開くヒントが見つかるかもしれません。
東京都大田区南千束2-3-1
池上線「洗足池」駅から徒歩5分
一般300円|小中学生100円|高齢者(65歳以上)240円
10:00~18:00(入館は17:30まで) 月曜 定休日
https://www.city.ota.tokyo.jp/