スーパーやコンビニで一度は目にしたことがある「木村屋總本店」のパン。
銀座のど真ん中に本店をかまえる「銀座木村家」の名物酒種あんぱんは、江戸無血開城の立役者として徳川慶喜から「一番槍は鉄舟である」と功績を称えられた山岡鉄舟を「おいしい」とうならせた一品なんです。
今回はあんぱんを世に広めた「木村家」、そしてそれをバックアップした山岡鉄舟との物語をご紹介していきます。
パンと木村家の歴史

日本にパンが伝来したのは1543年、ザビエルが来日する前の室町時代。
種子島に漂着したポルトガル人によって、鉄砲とともに伝わったといわれています。
当初は来日する異国人たちが食すのみで日本人が食べることはなく、江戸幕府の鎖国政策によってパンは一旦姿を消します。
1840年中国で起きたアヘン戦争をきっかけに、パンは保存性と携帯性が優れているとされ、兵糧として注目をあびますが、危惧していた戦争は起きなかったため結果的に利用されませんでした。
時は流れ、明治維新。西洋文化が急速に流入するなか、再びパンが上陸します。

ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする♪
そして明治2年(1869)、木村家の前進である「文英堂」をオープンさせたのが木村安兵衛と次男・英三郎親子です。
安兵衛とあんぱん
安兵衛は農家のうまれでしたが、度重なる水害により農業に見切りをつけ、将来を夢みて江戸へでます。
明治維新によって時代が動き始めた今、「新しい商売はないか」と考え、西洋文化の象徴であるパンに注目し「文英堂」を開きます。安兵衛53歳のチャレンジです。
しかしイーストがなかった当時のパンは、ビールの原料でもあるポップでつくられていて、食感は固いもの。日本人の口には合わず客足はまばらでした。
くわえて開業してから1年もたたないうちに、火事で店が焼けてしまったのです。
途方に暮れる安兵衛ですが、ここであきらめる選択肢はありませんでした。
「日本人の口に合うパンをつくろう」
新しいパンづくりのため、試行錯誤の日々がはじまります。
ヒントにしたのが「酒饅頭」。ホップのかわりに日本酒の酵母を使うことでふんわりとしたパンをつくることができるのではないか。そうしてできたパンに日本人になじみ深い小豆あんを包み焼き上げる。
これが「元祖あんぱん」の誕生です。
ふんわり柔らかなあんぱんは、狙い通り日本人に好まれ瞬く間に有名になったのです。
あんドーナツとあんぱん
これは余談ですが、2009年に放送され人気を博したドラマ「JIM-仁-」で「安道名津(あんドーナツ)」が登場します。
小麦粉や小豆に含まれる栄養素がビタミン不足を補い、脚気に効く治療薬として江戸の人々のあいだで好評を博します。
図らずも木村家のあんぱんは、ドラマでいう南方先生の「美味しい治療薬」としての役割も果たしていたのだと思います。
タイムスリップしてきた現代人から教わったわけではなく、自ら考案したのだから偶然だとしてもすごい。
安兵衛と鉄舟とあんぱん
山岡鉄舟は「剣・禅・書の達人」として文武ともに秀でた人物でした。
安兵衛の長男と鉄舟は浅利道場で剣術を学んでおり、安兵衛とは明治維新の前からの知り合いで、2人は政治談議からパンの味にいたるまで相談しあう仲だったといいます。

年の差なんと19歳!
江戸無血開城後、西郷隆盛の推挙により鉄舟は明治天皇に仕えることとなります。
明治7年、安兵衛が日夜研究を続けて考案した「酒種あんぱん」の試食をさせられると、

これ、うまいじゃないか!

いつの日か陛下に召し上がっていただこう…
安兵衛の熱意と技術に感銘をうけた鉄舟は、木村親子の努力を見守りつつ、そのチャンスをうかがうのでした。
献上
鉄舟は天皇両陛下が隅田川沿いの水戸藩下屋敷へお花見をする際の、お茶菓子としてお出ししてはどうかと提案。
木村親子はより美味しく召し上がっていただくため研究をかさね、ついに明治8年4月4日「あんぱん」が献上されるのです。
献上されたのは、奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらの塩漬けを埋め込んだ、甘みと塩味が絶妙な「桜あんぱん」でした。

引き続き納めるように
鉄舟は両陛下があんぱんを大変気に入られたことと木村親子の成長を嬉しくおもい、直筆による「木村家」の看板を贈呈しています。※実物は関東大震災で焼失


献上された4月4日は「あんぱんの日」として記念日に認定されています♪
明治天皇が召されたことで一躍大衆の間でパンが親しまれるようになり、日本独自の菓子パンとして庶民に定着していきます。
明治初期の流行語に「文明開化の7つ道具」というものがあります。※資料によって違うので実際は7つ以上ある
・新聞社 ・郵便 ・瓦斯灯 ・蒸気船
・写真絵 ・展覧会 ・軽気球 ・岡蒸気
そして「あんぱん」。当時の相当な人気っぷりがうかがえます。
鉄舟の革新力

またまた余談。
この時代の天皇陛下献上菓子といえば、選びぬかれた格式高い「京菓子」が通例。
完成からわずか1年の「あんぱん」を天皇に献上するなんて、当時考えられなかったことでしょう。
鉄舟はこのほかにも、いまも続く「山本海苔店」の味付けのりも、明治天皇が京都へ戻る際の手土産としてどうかと斡旋しています。
柔軟な考えで、新しいことを取り入れ発信することに長けていた鉄舟。
斬新なアイデアをうみだし、新しい道を開拓していく力。
現在のわたしたちにも通ずる、養うべき力ですね。
銀座木村家

あんぱんにトピックして話をしてきましたが、じつは銀座木村家、あんぱんだけではありません。
1F ベーカリー
毎日7階・8階の工場で製造している約130種類のパンを販売
2F 喫茶
サンドウィッチやデザートなどの軽食
3F 洋食グリル
ビーフシチュー・カニクリームコロッケなど、昔ながらの洋食メニュー
4F アーブルヴィラージュ
カジュアルなフレンチビストロ

1F〜4Fで1日の食事が済む!
1Fのベーカリーはお客さんが絶えず、レジ前に列ができるほどの盛況っぷり。



1番人気の「あんバター」。むきゅっと柔らかなフランスパンにたっぷり包まれたホイップバターと甘さ控えめの粒あん。


バターが主張しすぎずくどくない、上品な味。おいしい…幸
温めすぎると中のバターがダダ漏れるので注意!ほんとちょっとだけでいい。めちゃくちゃおいしい。


ラム酒のはいった「大人のあんバター」もあります♪
そしておもわず「うまっ!」と声がでた、夏季限定「珈琲あんバター」。


コーヒーの苦味が予想以上。
コーヒー“風味”のなにかを想像してはいけない。これが珈琲だ、といわんばかりの深い渋みにコク。滑らかなバターとベストマッチ。
過去には「さつまいもあんバター」や「抹茶あんバター」「かぼちゃあんバター」などがあり、季節ごとに入れ替わるのでたのしい。
酒種あんぱん

酒種あんぱんは、どれも手のひらサイズでかわいい。
■ 定番
・桜 ・小倉 ・うぐいす
・チーズクリーム ・けし(こし餡)
・白(白いんげん豆のつぶ餡)
■ 季節のあんぱん
塩レモン、あんず、シャインマスカット etc…
十分熟成させた生地を使用するため、日持ちがよく、手土産やギフトにも最適です。

噛みしめると、ふわっとほのかにお酒の風味がします。
高温で熟成しているので、ほとんどアルコール分はなく、子どもからお年寄りまで安心して食べられます。

塩レモンがスッキリ爽やかでとてもおいしい!ミニサイズなので色々と味を楽しめます♪
木村家の酒種あんパンは、昔ながらの製法で種の仕込みから製品が焼き上がるまで11日間、手間を掛けてつくっているため量産に適していません。
そのため、銀座本店やデパート直営店で販売している「あんぱん」は酒種100%で醗酵させているのに対し、スーパーで購入できる「あんぱん」はパン酵母と酒種を併用しているそうです。
アクセス
東京メトロ銀座線・丸の内線・日比谷線の「銀座」駅、A9出口をのぼってすぐ左手にあります。
銀座木村家の隣は、テレビ中継などでよく映される銀座のシンボル「和光の時計台」。初代時計塔が完成したのは明治27年(1894)といいます。
そして、道を挟んだ向かいには約350年の歴史をもつ「銀座三越」。
きらびやかでThe都会のイメージの銀座ですが、じつは明治期の面影が各所に垣間見える。

銀座木村家まとめ

日本の転換期に木村親子が情熱と努力で切り開き、今も昔も人々を虜にする「酒種あんぱん」。
「あんぱんってどれも同じような味でしょ」とお思いの方に一度食べていただきたい。
きっとひと味ちがう「あんぱん」に出会えるはず。
東京都中央区銀座4-5-7
東京メトロ「銀座」駅、A9出口すぐ
1F ベーカリー 10:00~21:00
https://www.kimuraya-sohonten.co.jp/